ことばと本

ことばと本

Where do you know that from? 一体どこで覚えたの?

ジュリア アッファイターティ
【Giulia Affaitati】このエッセイの執筆を依頼されたとき、ジュリアさんはしばらく考え、まず英語で書くことにしたそうです。そして、完成した英文を翻訳ツールを使って日本語に翻訳し、日本語話者のお母さんと一緒に日本語版を仕上げてくれました。今回は、ジュリアさんの作業過程と同じように、英語の次に日本語という順番で掲載しています。(つなぐ編集部)

If there is one habit that I preserved from childhood that’s reading and interacting with books, no matter in which language. Listening as a kid to Nezumi no Kaisuiyoku and Karasu no Panya-san my mother was reading to me, admiring enraptured the images, I probably didn’t realize, that I was absorbing all that language like a sponge, expanding my vocabulary.

I believe that’s how my ear developed, not only for Japanese, considering I never lived in Japan, but also for foreign languages such as English or German and my other mother tongue, Italian, all of which I daily use and mix. There is something magical, almost mystical in this: words somehow come out of my mouth automatically, words that I thought that I made up in my mind but actually exist and sound right, or understanding terms I thought I never encountered in my life. When this happens, I automatically start associating similar vocabs to discover in which “family of words” they belong or going simply by gut thinking of the feeling they create or their aura, I try to find the meaning of them. This magical phenomenon of affinity to the typical sound of a language, whether it’s Japanese or German, is created by the books that always were and are accompanying my life.

Fun fact, absorbing all these words without noticing turned out in my experience also to be quite funny creating strange situation I would never have imagined, in particular now that Japanese has become a hit in Europe. On a small beach in the island Venice, seeing that all ping pong tables were occupied, a girl of my age, born and raised there, who has never in her life gone out of that country, sighed out of nowhere: “yare yare daze”. “Wait what?!” was obviously my first reaction but then I thought “Ah, mangas”.

This is something that happens to me constantly, when for example I started reading the manga, Haikyu!!. One day, my mother was searching some chocolate to restore her energy after a long long day, when suddenly she said “eh, doushite zennbu tabechattano-”, “suman” was my answer. That moment she threw me a sideeye. Her eyes were telling me “Not very elegant…I didn’t teach you that… Where do you know that from?”

After several episodes like this one I started not using randomly phrases from books and mangas that probably no one uses anymore, but still I will continue reading books not only for the simple pleasure of sinking into different worlds or of discovering new views, but also because it will definitively help my language skills. I hope that I can share this feeling I have towards books and language with other multilingual and multiculture fellows that can identify themselves with this.

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

私が子どもの頃から続けてきた習慣があるとすれば、それは言語に関係なく本を読み、本と触れ合うことです。子どもの頃、母が読んでくれる『ねずみのかいすいよく』や『からすのパンやさん』を聞きながら、頭の中に映し出されるそのシーンに私はうっとりと見入っていました。それを通してスポンジのように言葉を吸収し、語彙を増やしていたことに、私は気づいていなかったのでしょう。

言葉に対する私の耳は、母語である日本語だけでなく(日本に住んだことがないのを考慮して)、英語やドイツ語などの外国語、そしてもうひとつの母語であるイタリア語など、日常的に使ったり混ぜたりしているすべての言語に対して発達したのだと考えています。口から自然に出てくる言葉、頭の中で作り上げたと思っていた言葉が、実際に存在し、正しい音であるとき、また私の人生で決して出会うことがないと思っていたような言葉を理解できたりする、そういったことは何か不思議な神秘的なものにさえ感じられます。そのようなとき、私は自然と似たような語彙を連想して、それがどの「語族」に属するかを発見したり、単純にその語彙が醸し出す感覚やオーラを直感的に捉えて、その意味を探ろうとします。日本語であれドイツ語であれ、ある言語の典型的な音に親近感を抱くというこの不思議な現象は、私の人生にいつも寄り添ってくれた、そして今も寄り添ってくれている本によって見出されたのかもしれません。

面白いことに、日本語と日本文化がヨーロッパで人気にあふれている今だからこそ、知らず知らずのうちに言語を吸収するというこの現象は、とても面白い経験として表面化し、想像もしなかったような奇妙な状況を作り出しました。夏休みによく行くヴェネツィア島の小さなビーチでの出来事です。卓球台が一つも空いていないのを見たイタリアで生まれ育ち一度もイタリアから出たことのない私と同じ年頃の女の子が、どこからともなくため息をついて言いました。「やれやれだぜ」と。私は「えっ、なに?!」と驚きましたが、すぐに「ああ、マンガからだ 」と気づきました。

このようなことは、例えば私が漫画『ハイキュー!!』を読み始めたときにも、しばしば起こりました。ある日、母が一日の疲れを癒すためにチョコレートを探していたことがありました。見つからないので、「ええ、どうして全部食べちゃったの」と嘆く母に、そのチョコレートを食べてしまっていた私は「すまん」とだけ返したのです。その瞬間、チョコレートが無くなったこと以上に、その言葉に反応した母は横目で私を見ました。母の目は私に、「きれいな言葉じゃないわね…。そんなこと教えてないけど… 一体どこで覚えたの?」と言っていました。

このようなエピソードが何度かあってからは、私は本やマンガに出てくる、またおそらくもう誰も使わないようなフレーズをむやみに使わないようになりました。それでも私が本を読み続けるのは、違う世界に入り込んだり新しい景色を発見したりする単なる楽しみのためだけでなく、自分の語学力を確実に向上させるためでもあります。私が本や言語に対して抱いているこの感覚を、同じように感じ取ってくれる他の多言語・多文化の仲間たちと共有できればと願っています。

(左)作絵/かこさとし『からすのパンやさん』偕成社
(右)作/山下明生 絵/いわむらかずお『ねずみのかいすいよく』ひさかたチャイルド
 ★本文内写真/筆者提供(妹といっしょに)

 


ジュリア アッファイターティ(Giulia Affaitati)さん

母、日本出身。父、イタリア出身。ドイツ生まれのドイツ育ち。幼少の頃は本読み会や日本語教室で日本語に触れ、その後は母と家で日本語学習にゆるく取り組む。幼稚園から高校までEuropean Schoolに通い、イタリア語・ドイツ語・英語にどっぷりつかる。今年の秋からイタリアの大学に進学。

【2つのリレー質問】

① ずばり一言、本は「私」にとって?

opening my eyes

② 記憶に鮮明に残っている子ども時代の一冊は?

小さいころから親しんだ本はたくさんあり選ぶのがとても難しいですが、前述した『からすのパンやさん』は話の内容だけではなく、絵の描写のおもしろさにもひかれ、ページの隅から隅まで楽しんだのを覚えています。本に出てくるたくさんのおもしろいパンを見ては、自分だったらこんなパンを作る!などと想像し、ワクワクしてなかなか寝られなかったこともありました。

最新のエッセイ