2024年2月10日
【Sandra Haefelin】国際結婚をした夫婦が子供に「バイリンガル教育をすること」は当たり前なのか?それとも「一か国語だけを教えればよい」のか?ツイッター(現X)ではよくそんな議論がされています。家族が住んでいる場所、親の考え方や子供の性格や能力など様々なことが影響してしているので、「バイリンガル教育をすべきか否か」について私は「これ」といった正解はないと考えています。その上で「私の経験」をお話ししたいと思います。
私の子供時代 日本語学習は「あそびながら」
私が生まれた時、両親は「子供にバイリンガル教育をするか」迷いました。ドイツ人の父も日本人の母も最初は「これからずっとミュンヘンに住むのだから、子供はドイツ語だけ覚えればよいのではないか」と思ったといいます。私が生まれた1970年代はまだインターネットがなかった時代。いわゆる「ハーフ」の子供の数も今より少なく、「子供の語学教育をどうすればよいのか」ということについて情報へのアクセスは限られていました。そんななか、両親は次第に「子供が大きくなったとき、ドイツと日本の両方の国を「母国」と感じることができたら、どんなに素晴らしいか」と考えるようになったといいます。そして「ドイツと日本の両方の国を「母国」と感じてもらうためには、やはり日本語とドイツ語の両方の言語ができることが望ましい」という結論に至りました。だから私が赤ん坊だった頃から父は私にドイツ語で話しかけ、母は私に日本語で話しかけていました。私と父親の会話はドイツ語、そして私と母親の会話は日本語。少々複雑なようですが、我が家ではそれが「当たり前」でした。
日本語の読み書きを家の中だけで教えるのは無理があるので、幼稚園の頃から土曜日に「ミュンヘン日本語補習校」に通っていました。特に楽しかったのが小学校時代の日本語補習校です。日本の公立の小学校で使っている国語の教科書で毎週3時間「日本語」の勉強をみっちりやるのですが、なんといっても毎週友達に会うことが本当に楽しかったのです。「ドラえもん」などの漫画を交換したり、かわいい鉛筆を持ち寄って「鉛筆交換」をしたり。土曜日の補習校は午前中の3時間で終わりましたが、その後お互いの家に遊びに行ったり、時には泊まりに行ったりもしました。
小学生の頃、「平日の午前中はドイツの学校に行って、午後はドイツ人の友達と遊ぶ」「土曜日の午前中は日本語補習校に行って、その後の週末は日本人の友達と遊ぶ」つまり平日は主にドイツ語を使い、週末は日本語を使うという「語学リズム」が出来上がっていました。
ところでドイツ人は「週末」というものを大事にしている人が多いです。勉強や仕事などといった「日常」から離れ、余暇を思いっきり楽しむのです。ミュンヘンという土地柄、私のドイツ人の友達は週末に家族でオーストリアにスキーに出かける子が多かったです。
「土曜日に日本語補習校に通って、日本語を勉強している」ことをドイツ人の友達に話すと、「週末にも勉強をしている」ということで尊敬の眼差しを浴びる一方で、「週末に遊べなくて、かわいそう」ともよく言われました。
でも私は「平日はドイツの学校」「週末は日本語補習校」という生活を負担に感じたことはありませんでした。単純な性格でしたから、誕生日の時「日本人の友達、そしてドイツ人の友達と二回も誕生パーティーを開いて、二回もお祝いしてもらえるなんてラッキー」と思っていました。
「日記を書く」という宿題が今の仕事につながっている
ミュンヘンの日本語補習校は土曜日だけの「週一」でしたから、毎週宿題が出ました。宿題のうちのひとつが「毎日、日本語で日記を書いて土曜日に先生に提出すること」でした。
小学生だった私は「今日は和泉ちゃんとゴム飛びをしました。」「今日はドイツの学校のバーバラと雪合戦をしました。」などと時には絵も描きながら毎日喜々として日記を書いていました。どの日も「とても楽しかったです」と締めくくっているちょっぴりワンパターンな日記でしたが、先生は毎回とても素敵なコメントを書いてくれるのです。時には「里美ちゃん(※サンドラの日本名)の日記を読むのが先生は楽しみです。」なんて書いてあったりして。それで私はますます「日記を書くこと」が楽しみになりました。習ったばかりの漢字を得意げに書いては毎週日記帳を先生に提出していました。
子供の頃、毎晩机に向かい「その日にあったことを日記に書く」という習慣が今のエッセイや本を書く仕事につながっている気がします。私が原稿を書いて出版社に送ると、編集者の方が感想を送って下さるのですが、それを読んだ時の喜びは「子供の頃、補習校の先生が日記に書いてくれたコメントを目にした時の喜び」とよく似ているのです。もしもミュンヘンの日本語補習校に通っていなかったら、もし当時「日記を書く」という宿題がなかったら、私はいま執筆をしていなかったかもしれません。
「母国語が二つある」というのは、おかしいことなのか
さて、大人になった私(立派な中年です)は両親の期待通り「自分はドイツ人であり、同時に日本人でもある」と思っています。
「母国語はドイツ語ですか?それとも日本語ですか?」の問いには堂々と「日本語とドイツ語の両方が母国語です。」と答えています。私が赤ん坊の頃から父は私にドイツ語で話しかけ、母は私に日本語で話しかけていたので、「ドイツ語と日本語の語学教育」はいわば同時進行で行われており、そこに「どちらの言語を先に覚えたか」という「タイムラグ」はないのです。だから私にとっては「日本語とドイツ語の両方が母国語」なのです。
何年か前、某テレビ局の番組に出演した時、プロフィールに「ドイツ語と日本語の両方が母国語である」と書いて提出したところ、テレビ局の方から電話がかかってきました。要約すると、少なくとも数年前、そのテレビ局では「母国語は一つ」という規定があったらしく、「母国語が二つ」という表現のままでの放送はできかねるとのことでした。その時はプロフィールを「日本語とドイツ語のバイリンガルである」というふうに書き換えました。
世の中にはやはり「人間の母国語は一か国語のはず」という「掟」があるようなのです。
今でも戸惑っていること
ミュンヘンで育った私は23歳で日本に来ました。日本に住み始めてからはよく「結婚したら、ドイツに帰るんでしょ?」と聞かれたものです。その後、日本人と結婚し、私自身が今は40代後半ということもあり、若い頃のように「ドイツに帰るんでしょ?」と言われることは少なくなりました。でも23歳から今にいたるまで約25年間も日本に住んでいることを不思議に思うのか、今は「どうしてドイツに住まないのですか?」と聞かれることが増えました。きっと「素朴な疑問」なのでしょうが、これを聞かれると、何だか日本にいてはいけないみたいで、ちょっぴり複雑な気持ちになります。「あなたはドイツ人なのだから、あなたの居場所はドイツなのですよ」と遠回しに言われているような気がするのです。もしかしたら私の被害妄想かもしれませんが。
いま私は48歳で、人生の半分以上を日本で過ごしていることになります。「ドイツと日本の両方が母国」という気持ちに変わりはないけれど、生活の基盤は間違いなく日本です。大人になってから仕事や人間関係など様々なものを築き上げてきたのが「日本」なのですから、そして私自身がドイツ人であるとともに日本人なのですから、これからも堂々と日本で生きていこうと思っています。
サンドラ・ヘフェリン(Sandra HAEFELIN)さん
ドイツ・ミュンヘン出身。エッセイスト。日本歴25年。日本語とドイツ語の両方が母国語。自身が日独ハーフであることから、「多文化共生」をテーマに執筆活動をしている。ホームページ 「ハーフを考えよう!」 を運営。著書は、「なぜ外国人女性は前髪を作らないのか」(中央公論社)、「体育会系日本を蝕む病」(光文社新書)など多数。近著「ドイツの女性はヒールを履かないー無理しない、ストレスから自由になる生き方」(自由国民社)。趣味は時事トピックについてディベートすること、カラオケ、散歩。
【3つのリレー質問】
① 気に入っている「日本語の言葉や表現、漢字など文字」は?
「腹が減っては戦ができぬ」(でもこれを真に受けて最近食べ過ぎなので注意したいところです。)
② 日本で人に言われて「嬉しいこと」と「いやなこと」は?
日本で、人に言われて「嬉しいこと」は「なんだか、楽しそうだね」
日本で、人に言われて「いやなこと」は「どうしてドイツに住まないのですか?」
③「自分の中の日本語」を色や形、一つの言葉にたとえると?
色は分かりませんが、お風呂のような温かい感じ。「安心、あったか」(子供の頃から母と日本語で話していたため、「安心、あったか」なのだと思います。ちなみに某航空会社の行動方針とは関係ありません。笑)
(編集者注:この記事は、ドイツ語でもお読みいただけます。)