複言語を生きよう

複言語を生きよう

私は元複言語キッズ ~心の属する場所を求めて~

バウワー友香理

前回のエッセイ「ティーンズ座談会」(リンクはこちら)にて、進行役を務めてくださったバウワー友香理さん。今回は、自身も複言語・複文化を生きる友香理さんに、当時の思いや、今の思いを語っていただきました。

 

🌷 当時の思い: 幼稚園から小学校低学年「私だけ取り残されている?」

私は日本で日本語話者の両親から生まれたのですが、私の複数の言語や文化の中を生きる環境は幼稚園の頃から始まりました。両親にとっては初めての子・両家の祖父母にとっては初孫だったこともあり、「幼少期から英語の環境に入れてあげたい」という思いが強かったらしく、幼稚園からインターナショナルスクールに通っていました。

決して英語が得意ではなかった私は、当時、先生やクラスメートが何を言っているのかわからずに、戸惑ったことを覚えています。日本人の友達と日本語で遊んでいると注意され、半ば強制的に英語で遊びなさいと言われることや、帰宅前に先生による絵本や物語の読み聞かせタイムがあったのですがその時間が苦痛で、毎日、登園・登校時には母に「早く迎えに来てね」と泣きながらお願いしていました。

「みんなは英語ができてすごいな~。私だけ取り残されている…。」と当時は思っていましたが、実は友達たちも私と同じような思いを抱えていたということが分かったのは大人になってからでした。

🌷小学校高学年から高校「私は周りより劣ってる…」

その後、中国とドイツに住み、現地の学校に通っていました。「なぜ日本ではインターナショナルスクールで、海外では現地校?」という疑問はありましたが、実は母自身も祖父の転勤により子ども時代をオランダとインドネシアで過ごしていました。その経験から、自分の子どもたちもせっかくその地にいるのなら現地の言語・現地の文化の中に入れてみよう、という思いがあったようです。

日本語については、補習校などには通わなかったので、家の中でだけ使う言語となっていました。なので、読み書きは不得意でしたが、聞いたり話したりすることは特に苦にはなりませんでした。両親が日本人かつ家の中の言語は日本語だったため、海外歴が長くなっても「自分は日本人で母語は日本語なんだ」という意識はあったように思います。(というか、一番自己表現がしやすかったのが日本語でした)

学校生活は、中国もドイツも言語がわからないので始めのうちはポカーンと教室に座って、周りが何を話しているのかさっぱりわからない状態が続きましたが、1年ほどで何となく理解し、話せるようになり、友達もできました。(子どもの適応力ってすごいですよね(笑))

しかし、学年が上がり内容が難しくなっていくにつれて、黒板やプリントの単語がわからないものが多くなり、先ずは辞書を引いて日本語で理解して、それからテスト対策としてドイツ語で丸暗記をする、といった作業を繰り返すようになりました。

正直しんどくて…

日本にいる友人との文通で、日本の楽しそうな様子を読んでいると、「なぜ私だけこんなに苦労しなくてはいけないの?ドイツの友人たちは母語で勉強していて、日本の友人たちも母語で勉強している。私だけがハンディキャップのマイナス地点からのスタートじゃん!」と負の感情を持っていました。

この頃から、周りと比べて自分は劣っていると感じるようになり、自分に対して自信が持てなくなっていました。

🌷 高校から社会人

17歳の頃、高校卒業まであと一年というところで、日本に帰国しました。海外で生活してきた私には、日本の高校に転入することは心理的プレッシャーが大きく、学業を継続することは断念し、学習塾で中・高生向け英語講師や児童英会話の先生などからスタートして、社会人となりました。ここでも、ストレートに物事を表現してしまうことなどが「日本人らしくない」と捉えられることが多々ありました。その後数年間日本で働いたのち、一足先にドイツに戻った家族を追いかけ、再びドイツで暮らすこととなりました。

運よく、現在も勤務しているドイツの日系企業に就職することができたものの、学歴コンプレックスを持ち続けたままでした。子どもの頃に感じた劣等感が今度は学歴コンプレックスと組み合わさり「私なんて…」という感情が大きくなり、いろんなことに対して始める前から諦めるようになっていました。

そんな私を見放すことなく支え続けてくれたのは周囲の方々でした。周りの強い勧めもあり、会社勤務に並行して日本の通信制高校に通うことを決断し、卒業することができました。卒業から程なくして、もっと勉強し、大好きな子どもと関わる仕事をしたいという衝動にかられ、オンラインで学位所得が可能なビジネス・ブレークスルー大学(以下BBT大学)に社会人学生として入学しました。

今から思えば、「自分はもっと変われる、もっと変わりたい」と思っていたのだと思います。

ここで出会えた先生方や同期・クラスメートなどの「仲間」は私の財産となっています。

あまりにも大学の学習や仲間との関わりが楽しくて、気付けば3年での早期卒業していました。ここで私は変わることができ、大きな自信を持つことができるようになりました。

🌷 私と日本・日本語

私はかなり頑固なので、自分がやる気になった時でないと素直に取り組まないということを親は見抜いていたのかもしれません。当時日本の高校も無理に行けとは言わず、日本語教育も本人がやりたいといわないのなら、と9歳で日本を離れて、それ以降はなにも受けていませんでした。

「一般的」に言えばかなりレールから外れた状態だったと思いますが、なんとか日本語環境で就職し、その後自分が「学びたい!」と思ったタイミングで高校も大学もいくことができました。

日本語レベルが低いことを少しでもカバーしようと、就職前後は見様見真似でビジネス的な表現や言い回し、そして話し方や立ち振る舞いを学んだり…。高校・大学も社会人学生として仕事をしながらだったので、「通常のレール」に乗っかっていればこんな苦労をすることもなかったのかもしれないと思う反面、「やる気が出たタイミングでやる!」というのは、それはそれでいい経験だったと思っています。

🌷 現在の思い

「4か国語も話せてすごいね」といわれることは多々ありますが、謙遜ではなく、どの言語も中途半端だと感じています。日本語は読み書きが不得意で、活字に対する苦手意識が強くあるため本を読むことが好きになれません。

その他の言語、英語、中国語、ドイツ語も、常にネイティブに囲まれて、その中で自分のレベルを比較してきたためなのか、自分はまだまだだな~と感じ、「私、できます!」と自信を持って言えません。

一方で、幼少期からずっと多様な環境にいたため、気付かぬうちに多文化への理解力・許容力はついていたのだと感じます。実際にその国で生活をしたことにより、日本人・中国人・ドイツ人の言動や行動の背景に何があるのか、何を伝えたくて、何を期待しているのか、などを肌感覚で理解できるため、現在グローバル企業で働く中で、語学力以上に、日本・ドイツ間のコミュニケーション・ブリッジ的な役割を果たしています。先ずは相手を理解し、考えや価値観の違う部分も歩み寄ってからこちらの主張を理解してもらえるように伝える力は身についていると感じています。

「私はどこに属するのだろうか?」という疑問は長年抱え続けていましたが、ここ数年で複言語キッズや Third Culture Kids (TCK)などを知ったことにより、自分の(心の)居場所が見つかったように感じます。言葉で表しにくいのですが、なんだか嬉しい、なんだか心強い、なんだかつながっているような気がしています。

 🌷 今後の活動について

私は「子どもの成長に貢献することがしたい」と思い続けていましたが、保育士免許や教員免許を持つわけでもない私に何ができるのかが長い間見えていませんでした。

大学の卒論では「子どもの成長に貢献すること」を主軸に、私が提供できる価値について深堀をしました。そこで行き着いたのが、私が複言語環境で育ったという原体験です。私が当時不安になったり悩んだりしながらもなんとか前に進めたのは周りの人の理解や支えがあったからでした。一方で、もし自分と同様の環境の友達がいたら、お互いに共感し、支えあえる仲間がいたらもっと心強かったかな、とも思います。

そんな思いから、私は今の複言語キッズたちがお互いにつながり、共感し、助け合える、仲間となれる場をデザインしていきたいと考えています。

現在具体的に取り組んでいるのは、欧州に住む日本にルーツを持つ子どもとその保護者向けの欧州日本語親子キャンプです。第1回目は20225月にドイツ・デュッセルドルフで開催され、618歳の複言語キッズたちとその保護者が集まり、子どもは先輩複言語キッズとなる20歳前後のリーダーたちと、保護者は保護者同士、23日の時間を共にしました(キャンプ活動報告はこちらから)。たくさんのつながりと笑顔溢れるイベントとなりました。今後もこのキャンプに加え、様々な活動を展開していきたいと思っています。

 


バウワー友香理(BAUER Yukari)さん
1986年 東京生まれ。父日本人・母日本人と中国人のミックス。幼稚園から東京のインターナショナルスクール、小学校高学年(9 – 13歳)は中国の現地校、その後、母親がドイツ人継父と再婚したため、中学・高校(13 – 17歳)はドイツで現地校に通う。卒業まであと一年のところで日本に帰国。帰国後、日本の学校へ編入はせずに社会人となる。
2012年にドイツにて就職。通信制高校で高校卒業資格を取得。その後、ビジネス・ブレークスルー大学に進学し、2021年に首席で卒業。大学の卒論をきっかけに、自身の原体験を元に「複言語・複文化の環境で育つ子どもたちの成長に貢献する活動」をライフワークとして、様々な活動を展開している。

【3つのリレー質問】

① 気に入っている「日本語の言葉や表現、漢字など文字」は?

「一期一会」

② 日本に行った(帰った)時などに人に言われて「嬉しいこと」と「いやなこと」は?

嬉しいこと:「おかえり」と迎え入れてくれること。
いやなこと:  あまりない。ドイツに戻るときにみんなと離れるのがさみしくなること。

③「自分の中の日本語」を色や形、一つの言葉にたとえると?

 角がなく、丸い形。どちらかというと暖色系。「調和」。

最新のエッセイ