複言語を生きよう

複言語を生きよう

これからも日本語は「我が家の一部」— Japanisch als Teil unserer Familie

丸山デニス

2013年6月、冊子『つなぐ—わたし・家族・日本語—』先輩インタビューに登場してくださった丸山デニスさん。インタビューでは、小さい頃は家族の会話はすべてドイツ語だったこと、大学生になってから初めて日本語を学ぶようになったことなど、ドイツ(母方)と日本(父方)、二つの文化への思いを語ってくださいました。今回のエッセイでは、8年経った今、父親になって感じていること、思っていることを日独二つのことばで綴っていただきました。(インタビュー記事はこちら

自分の中のドイツ語 — Veränderungen seit dem ersten Interview

8年前のインタビューから色々な変化がありました。まずは、長女(4歳)と次女(8か月)が生まれ、家族に新しいメンバーが増えたこと。転職して、フランクフルトからブラウンシュバイクへ引っ越したこと。それから、新しい職場では日本語を使う機会が増えて、ドイツ語よりも英語を使うことが多くなりました。でも、やはり私にとって一番心地がいいのは、言葉が一番簡単に出てくるドイツ語ですね。

Seit dem ersten Interview 2013 ist viel bei uns passiert; zunächst sind meine Frau und ich aufgrund eines Jobwechsels von Hessen nach Braunschweig gezogen, wo wir uns sehr wohl fühlen und auch unsere beiden Töchter (4 Jahre/8 Monate) zur Welt gekommen sind.

子供たちのことば・家族のことば — Sprachenmix in unserer Familie

うちでは、ママは子供たちとマンダリン語(中国語)で話をし、パパはドイツ語です。日本留学中に知り合った台湾出身の妻と私の共通語は今も日本語なので、長女はある程度日本語を理解しているようです。次女もそうなると良いのだけれども、どうなるかは分からないですね。私自身は長女が生まれる前にマンダリン語を勉強してみたことはありますが、結局、続かなかったんです。でも、子供が生まれてから、妻と子の会話を聞いているうちに、そこそこ分かるようになってきました。それでも、家族の今後の共通語については、ちょっと気になりますね。

Es gibt in unserem Haushalt keine wirklich dominante Sprache im Moment. Meine taiwanesische Frau habe ich in Japan kennengelernt, weshalb wir uns von Anfang an auf Japanisch unterhalten haben, woran sich auch trotz ihrer nun fast 10 Jahren in Deutschland auch nichts geändert hat. Meine Frau spricht mit unseren Töchtern Mandarin und ich Deutsch, wobei wir wie gesagt uns auf Japanisch unterhalten, weshalb unsere Große auch etwas Japanisch versteht und sprechen kann. 

長女と日本語 — Unsere Große und Japanisch 

幼稚園に通うようになってから、長女のファースト・ランゲージが少しずつマンダリン語からドイツ語に変わってきました。マンダリン語とドイツ語を混ぜてしゃべっている時もあります。日本語は、妻も私も大学に入ってから学び始めたので、自分の母語ではないんです。なので、直接的には教えてはいませんが、日本のアニメを一緒に見たり、日本語の絵本を読んであげたりしています。日本語を話す友達とは、簡単な会話はできているようです。

コロナ前まではブラウンシュバイクの親子会に通っていましたが、今は開催されず本当に残念です。親子会に参加していた時、子供との会話に日本語が加わる、といった変化はとくにありませんでした。それでもなにより日本語だけではなく、日本の文化や伝統、歌や童話に触れられる場があるのは嬉しいことですね。子供にとって非常に良い機会ですし、再開したら、是非また他の日本人やハーフ、クォーターの子供たちと交流できればと思っています。

Da allerdings weder meine Frau noch ich Muttersprachler im Japanischen sind , haben wir nicht vor es unseren Kindern aktiv beizubringen, aber wir schauen uns schon mal zusammen Anime auf Japanisch an oder lesen mal eine Geschichte auf Japanisch vor. Unsere ältere Tochter hat auch japanische Freundinnen, mit denen Sie sich dann in einfachem Japanisch unterhält.

Vor Corona hat meine Frau unsere Große regelmäßig zum Braunschweiger “Oya-ko-kai” (Eltern-Kind-Treff) mitgenommen, wo den Kindern spielend die japanische Sprache sowie Kultur vermittelt werden und auch Lieder gesungen und Geschichten erzählt werden. Wir hoffen, dass das Treffen bald wieder stattfinden kann.

親として思うこと — Wunsch als Eltern

実は長女が生まれる前に、父からは日本語をちゃんと教えてほしいと言われたことがあります。私も個人的には、子供たちにある程度日本語で会話ができるようになってほしいと思っています。なので、日本語は、これからも我が家の一部であり続けると思いますただ、親としての優先順位は、ドイツ語とマンダリン語の方が高いですね。父は(私たちの方の)孫たちには大体日本語で声をかけますが、(姉の方の)子供たちには必ずドイツ語でいつも声をかけています。コロナで最近おじいちゃんと会う機会がかなり少なくなってしまって、三世代で日本語を話す場を設けることが難しくなっていて、残念です。

将来どうなるかは分からないですが、娘たちが日本語で簡単な会話ができたら、それで十分だと思っています。例えば、日本へ遊びに行った時、親戚と少しでもしゃべれたら、嬉しいですよね。私は子供のころドイツ語だけだったので、日本の親戚とは全く話せなかったんです。なので、自分の子供たちにはそうなってほしくないな、と思っています。

Wünschenswert wäre es natürlich, wenn unsere Töchter neben Mandarin und Deutsch sich auch zumindest ein wenig auf Japanisch unterhalten könnten, was wir auch gerne weiter fördern möchten, damit sie sich in Zukunft auch mit der Verwandtschaft in Japan unterhalten können. Meinen Vater würde das sicher auch sehr freuen.

皆さんへメッセージ — Mein Rat

うちと同じように二つ以上の言語で子育てをしている皆さんに言いたいことは、「あきらめないで!」です。子供たちが答えたくなさそうにしている時や興味を示さない時でも、皆さんは自分の母語で声をかけ続けてください。そうしないと段々難しくなってくるような気がします。

それに親である私たちが年をとった時に、自分の子供と自分の母語で会話できないと後悔すると思うんですよね。今年で70才になる私の父も、子供のころ日本語がわからなかった息子(私)と、今では日本語で話せるようになって喜んでいると思います。でも、そういうことは、父はあまり自分からは言わないんですけどね。

Zum Abschluss mein Rat an alle Eltern, die ihre Kinder auch zweisprachig erziehen möchten. “Niemals aufgeben!”. Es wird oft Momente geben, in denen es nicht leicht fallen wird Ihre Kinder zweisprachig aufwachsen lassen zu wollen. Vor allem wenn durch Kindergarten/Schule eine der beiden Sprachen dominant zu werden scheint und die Kinder weniger Interesse an der anderen Sprache haben. Bleiben Sie geduldig und haben Sie Verständnis für eventuelle “Sprachlaunen” Ihrer Kinder. Sie werden es Ihnen in der Zukunft danken.

 


丸山デニス(MARUYAMA Dennis)さん
ブラウンシュバイク在住2児の父。日本出身の父とドイツ出身の母のもと、1980年フランクフルト近郊で生まれる。大学で日本語を学び始め、京都留学時に知り合った台湾出身の留学生と2011年にドイツで結婚。家庭では中国語(マンダリン語)、ドイツ語、日本語が飛び交っている。勤務先の日系企業では英語を使うことが多くなり、まさに複言語を生きている。

【3つのリレー質問】

① 気に入っている「日本語の言葉や表現、漢字など文字」は?

「猿も木から落ちる」

② 日本に行った(帰った)時などに人に言われて「嬉しいこと」と「いやなこと」は?

「嬉しいこと」:日本語がお上手ですね。
「いやなこと」:日本語で声をかけても、英語で返してくる

③「自分の中の日本語」を色や形、一つの言葉にたとえると?

「運命のことば」
もし日本語を勉強し始めなかったら、京都に留学もしなかったと思います。したがって、妻とも出会えなかった=娘たちも今いなかったですね。

 

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